シナリオ通りの「延長勝負」を制した日本 最大の関門を突破し、五輪まであと1勝

川端暁彦

「持久戦」を見越したスタメン

日本は延長の3ゴールでイランを下し、準決勝に進出。手倉森誠監督は最初から「延長勝負」まで意識していた 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】

 手倉森誠監督は試合前、確かに「持久戦」という言葉を口にしていた。その意味するところを「前半は耐えて、後半に機を見て快足FW浅野拓磨を投入しての“後半勝負”」と解釈していたのだが、甘い読みだった。フタを開けてみれば、指揮官は最初から「延長勝負」まで意識していた。

 1月22日にリオデジャネイロ五輪アジア最終予選の準々決勝が行われた、カタール首都ドーハの北部にあるアブドゥラー・ビン・ハリファ・スタジアム。U−23日本代表が対峙(たいじ)したのは、A代表同士も死闘を演じた歴史を持つ強敵イランだった。試合は0−0で迎えた延長に日本が3ゴールをたたき込み、3−0で勝利。準決勝に駒を進めた。

 負けても次があるグループステージの戦いから一転、負ければ終わりの戦い。若い選手たちが相当な重圧を感じていることは、前日や前々日の練習後に話を聞いた感覚からも分かっていた。強気の発言をもっぱらとするDF植田直通が試合後、「プレッシャーはありました」と率直に認めていたのは印象的だった。

 その上で「今日の先発は各ポジションでヘディングが強い方の選手を選びました。(イランの)高さが怖かったからです」という監督のコメントが象徴するように、先発メンバーは「まず失点しないこと」を意識したセレクションである。

 高さに分があるイランに対して、少しでも競れる選手を選んでいる形だが、おそらくグループステージ第3戦の選手を選んだ時点で、既に思い描いていた顔ぶれだったのだろう。第3戦に長時間出ていた選手は限定的で、体力的には万全の状態。「今日の先発はいまのベストメンバーというわけではありません。今日イランと戦う上でのベスメンバー」と指揮官は試合後に明かした。

劣勢の中、耐え抜いた前半

劣勢の中で日本は何とか耐え、相手にゴールを許さなかった 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】

 試合の様相は、恐らく日本の首脳陣が事前に想定していたとおり、序盤から劣勢だった。ボール支配率は40%を割り込み、攻撃でまったくフィニッシュまで持ち込めない。負ければ終わりのシチュエーションもさることながら、実際にアジアの舞台において準々決勝で負け続けてきたという失敗経験もまた、彼らの足を重くしていることは想像に難くなかった。

 信じられないようなパスミスや判断ミスが飛び出し、窮地を招く展開が続く。開始2分と3分には立て続けに2つの決定機も献上。リスクを恐れるあまり、雑なロングボールでボールを捨てるプレーも多すぎた。押し込まれる流れの中、日本の最初のシュートは前半27分まで待たねばならなかった。

 ただ、選手たちの意思統一が崩れていたわけではない。「前半は攻撃のリズムが出ない中で辛抱強く戦ってくれた」と手倉森監督が振り返った通り、FWにとって何ともフラストレーションの溜まる展開だったに違いないが、FW久保裕也は「前半はイランに勢いがあるのは分かっていた。そこを耐えながらやっていれば、最後の方でチャンスがあると思っていた」と、隠忍自重の戦いを続ける。

 前半の半ばすぎからようやく後方でボールを持てるようになった日本は、一息つきながらパスを回すようになり、支配率も改善。序盤の流れをせき止める。37分にはクリアミスからFWモタハリにシュートを打たれたが、相手のミスに救われるシーンもあった。それでも日本は何とか耐えて、前半を終えることに成功した。

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著者プロフィール

1979年8月7日生まれ。大分県中津市出身。フリーライターとして取材活動を始め、2004年10月に創刊したサッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』の創刊事業に参画。創刊後は同紙の記者、編集者として活動し、2010年からは3年にわたって編集長を務めた。2013年8月からフリーランスとしての活動を再開。古巣の『エル・ゴラッソ』をはじめ、『スポーツナビ』『サッカーキング』『フットボリスタ』『サッカークリニック』『GOAL』など各種媒体にライターとして寄稿するほか、フリーの編集者としての活動も行っている。近著に『2050年W杯 日本代表優勝プラン』(ソル・メディア)がある

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