リオでメダルへ、ボッチャ・廣瀬隆喜 見据える先は東京での“金”

瀬長あすか

競い高め合うライバルの存在

日本代表のキャプテンである杉村(左)とはライバル関係。年末の日本選手権でも決勝で接戦を繰り広げるなど、お互いに高め合う存在として意識する 【写真:伊藤真吾/アフロスポーツ】

「世界を舞台に戦いたい」。ビームライフルや車いす陸上に挑戦していた廣瀬は13年前、身体に障がいによる緊張があっても高いパフォーマンスを発揮できるボッチャを本格的に始めた。パラリンピックに初出場した08年と比べて、世界の傾向は、ボールが簡単に押し出されないように、柔らかいボールを使うようになったことだという。そこで廣瀬も空中からダイレクトにジャックボールを動かす“ロビングボール”を習得した。

「負けていても、諦めなきゃ逆転できる」

 ジャックボールを弾く技術を身につけたことで、ミスをしても、すぐに冷静さを取り戻し、新たな一手を考えられる選手になったのだろう。今では日本屈指のパワー系選手として存在感を示している。

 そして、もうひとつ彼の強さのゆえんは、競い合うライバルがいることだ。廣瀬は、日本最高峰の選手権大会本大会で6度の優勝を誇る絶対王者。しかし、現在ナショナルチームのキャプテンを務める杉村英孝に、13年の第14回、第15回大会では日本一の座を奪われた。「すごい悔しいし、負けたくない」。高め合うライバルの存在も、廣瀬の闘志に火をつけている。

 12月26日、27日、神戸で第17回日本ボッチャ選手権大会本大会が開催された。前回大会で優勝を奪還した廣瀬は、決勝戦で1−3と杉村に惜敗。連覇はならなかったが、最終エンドでロビングボールを繰り出す攻めの投球で意地を見せた。

「負けは悔しいけれど、どこにボールを置くべきだったのか戦略を考えるいい機会になりました。相手にジャックボールが見える位置にボールを投げてしまうなどミスが多かった。世界で強い選手は、ミスがない選手。次回に向けてまた頑張りたい」

 もう一皮むけた廣瀬が、リオの地で表彰台に上がる姿を見たい。

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著者プロフィール

1980年生まれ。制作会社で雑誌・広報紙などを手がけた後、フリーランスの編集者兼ライターに。2003年に見たブラインドサッカーに魅了され、04年アテネパラリンピックから本格的に障害者スポーツの取材を開始。10年のウィルチェアーラグビー世界選手権(カナダ)などを取材

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