谷佳知を自然と変えた「夜中の素振り」 緊張を楽しめた現役生活を振り返る

週刊ベースボールONLINE

プロ入り前から緊張感は楽しめた

2000安打の大台まであと72本と迫りながらユニホームを脱ぐ谷。だが「惜しい」という思いはないと語る 【写真=BBM】

 引退試合が彼のプロ野球人生を物語っていた。ライト前ヒットを放つと、ナインがつないでホームに生還。大歓声が背番号10を迎え入れた。引退試合当日、チームメートが口々に語った「谷さんのために」――。身長173センチの小さな体でプロの世界で戦うため、自身のスタイルを確立し、信念を曲げることなく走り続けた19年。オリックス、巨人に加え、日の丸を背負って世界舞台でも戦った谷佳知が、自身の口で現役生活の軌跡をたどる。

 笑顔を絶やさず、じっくりと、そしてゆっくり話し始めた谷佳知。それでも時折、真剣な表情で熱く語る姿は真摯に野球と向き合ってきたことを物語る。19年にわたってプロの舞台で戦い、巨人時代には5度のリーグ優勝、2度の日本一を経験。日本代表にも名を連ね、五輪にも出場した。幾度も重圧のかかる場面で結果を求められてきたが、聞けばその緊張感を「楽しんでいた」という。(取材日:10月30日)

緊張したほうがもっと打てると思った

――10月3日に引退試合が行われ、1カ月が経ちました。「引退した」という実感はありますか?

 それが「ホンマに引退したんかな〜」という感じで、実感がそこまでないですね。毎年、シーズンが終わったら1カ月くらい野球をやらないので、今も休養期間という感じ。引退した実感がないんですよね。

――バットを振りたい、ボールを投げたいと思うことは?

 全然ないです(笑)。シーズン中は夜中に「あの打席はこうやったな」と思い返して「バットの出し方を変えれば、打てたんじゃないか」と考えて、「次はこう打ったろ」と素振りをしたりしていましたが、今は野球のことを考えていないので、少しホッとしています(笑)。

――では、先日の日本シリーズは見ていないですか?

 いや、見てましたよ。第5戦は見られなかったんですけど、山田(哲人・ヤクルト)が3本ホームランを打った試合(第3戦)は見ていました。

――やはり気になる。

 そうですね。なんか懐かしいな、という感じで見ていました。巨人時代に日本一を経験させてもらいましたけど、緊張感は相当なモノでした。そういう雰囲気の中で彼らはやっているんだなと。一球の大切さとか、一打席の大事さとか。そういう緊張感が伝わってきましたね。

――独特の緊張感がある。

 日本シリーズに限ったことではないですけど、やっぱり緊張感はつきもの。でも、僕はその緊張感がすごく楽しかったんですよ。緊張しないと打てなかったですし。緊張感を楽しめたから、ここまでできたのかなと。

――緊張を自覚して楽しんでいた。

 自覚していましたよ。足が震えますし、ドキドキして鼓動が早くなりますし。そういう状況で打席に立つと、良い結果が多いんですよ。だから自分を奮い立たせてくれるというか。緊張すると集中力が増すんです。普段の試合も緊張感を持ってやっているのですが、日本シリーズなどの大舞台だと、より集中できるというか。自分の技術以上のモノが出たりするんですよね。常に緊張して打席に入った方が、もっと打てるんじゃないかと思ってやっていましたね。

――緊張を楽しめたのは、いつからですか?

 プロに入る前からずっとです。子どものころから。チャンスで回ってきたり、ここで打ったら勝てるケースとか。そういう場面で打ってきたので、自信があったのかもしれないですね。だから楽しめた。緊張して打席に立つと、持っている力以上のモノが出ると感じていたので。

唯一楽しめなかった五輪

緊張を楽しめたという谷だが、2度出場した五輪ではその緊張を楽しむことはできなかった 【写真=BBM】

――現役生活で楽しめなかった緊張はありますか?

 うーん、オリンピックですかね。

――アマチュア時代の1996年のアトランタ五輪、プロでも04年のアテネ五輪に出場していますが、どちらとも?

 金メダルを目指すという意味では、どちらも同じでしたけど、少し感覚は違いましたね。アトランタのときはメダルを取らないと日本に帰れないというプレシャー。アテネは金メダルを取ることに加えて、全勝というプレッシャーがありました。しかも、長嶋ジャパンで世間の注目度も高かったですから。だから、プロとして参加したアテネのときは、結果と内容を期待されました。アテネの方が、緊張というかプレッシャーが大きかったですかね。ボールも捕れないし、打つのも簡単じゃなかったですよ。

――国を背負った緊張は別モノ?

 日本中、世界中が注目しているんで。アテネは、まだ人気がなかったのかもしれないですけど日本国民は見てくれていたと思うので、恥をかくわけにはいかなかったですから。

――アテネ五輪は初めてオールプロで挑んだ国際大会でした。他球団の選手から受けた刺激もあったのでは。

 いや、当時は自分もオリックスで良い成績を残してトップレベルでやらせてもらっていたので、自信を持ってやっていました。だから、ほかの選手にも負けるわけがないと思っていたので、刺激を受けたことはないですね。そういうトップ選手が集まったチームだったから、負けるわけにはいかないというプレッシャーがあったんです。

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