遠藤保仁と小笠原満男の経験の厚み Jリーグの最前線を走り続けられる理由

戸塚啓

エリート集団のなかの非エリートだったふたり

J1リーグ通算出場試合数で歴代3位タイの501試合を記録している遠藤 【(C)J.LEAGUE PHOTOS】

 あの18人のなかで、彼らふたりがかくも抜きん出たキャリアを築くとは──。1999年のワールドユース(現U−20ワールドカップ)準優勝メンバーで、遠藤保仁(G大阪)と小笠原満男(鹿島)が2015年もJリーグの最前線を疾走する現実を、16年前に想像できたサッカー関係者は少数派だったに違いない。

 日本サッカーに新たな地平を開いた黄金世代のなかでは、必ずしもメインキャストでなかったふたりである。同世代のリーダー格は小野伸二であり、稲本潤一(ともに札幌)であり、高原直泰(相模原)だった。言ってみれば遠藤と小笠原は、「エリート集団のなかの非エリート」だったのである。

 それがどうだろう。

 2015年10月29日現在のJ1リーグ通算出場試合数で、遠藤は歴代3位タイの501試合を記録している。同世代では断トツのナンバー1だ。

 黄金世代で遠藤に続くのは小笠原と曽ヶ端準(鹿島)である。こちらは歴代8位タイの462試合に出場している。

 小野、稲本、高原、中田浩二らは海外で長くプレーしていたため、J1での実績に空白期間が生じている。だが、遠藤と小笠原が作り上げてきた数字は、毎シーズンの稼働が大前提だ。ケガによる長期の戦線離脱がなく、監督が代わっても必要とされてきたからこそ、彼らはJ1の歴史に名を刻んでいるのだ。

「ホントに苦しいときにどうするか」(小笠原)

小笠原は「苦しいときに人間性が出る」と語る 【(C)J.LEAGUE PHOTOS】

「苦しいときに人間性が出る」と、小笠原は話す。

「自分の状態が良い時は、誰だって頑張ることができる。ホントに苦しいときにどうするか。ちょっと試合に出られないだけで愚痴ったり、ふて腐れたりというのは、絶対にやっちゃいけない。『試合に出られなくてもしょうがないな』とか、『誰かレギュラーの選手がケガをしないかな』とか、そういう気持ちでいたら自分が成長できない。試合に出られない悔しさを抱きつつ、自分の頑張りでポジションを奪い取る。そういう気持ちで、僕はやってきた」

「段階を踏んできた」と、遠藤は語る。

「プロに入ったばかりのころは、『15年間はトップレベルでレギュラーをつかんでいたい』というのが、漠然とした思いでした。とは言っても、『まずは試合に出る』『次にレギュラーをつかむ』『翌年もまたレギュラーとして試合に出る』『その翌年もまた……』と、段階を踏んでいかないといけない。目の前の目標をひとつずつクリアしていったらいまに至っている、という感じで」

 用意した言葉こそ違うものの、胸中に宿る思いは共通する。

 自分に妥協しない。
 限界を設けない。

 アスリートなら誰もが心に刻むフレーズを、彼らは日々の練習を通して磨き上げてきた。今日も、明日も、磨き上げていく。

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著者プロフィール

1968年、神奈川県出身。法政大学第二高等学校、法政大学を経て、1991年より『週刊サッカーダイジェスト』編集者に。98年にフリーランスとなる。ワールドカッ1998年より5大会連続で取材中。『Number』(文芸春秋)、『Jリーグサッカーキング』(フロムワン)などとともに、大宮アルディージャのオフィシャルライター、J SPORTS『ドイツブンデスリーガ』などの解説としても活躍。近著に『低予算でもなぜ強い〜湘南ベルマーレと日本サッカーの現在地』(光文社新書)や『金子達仁&戸塚啓 欧州サッカー解説書2015』(ぴあ)がある

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