楽天・梨田新監督が貫いてきた信念 「己の観察眼」を生かし日本一へ
楽天・星野副会長(左)と握手を交わす梨田新監督。球団としても長期政権が期待される 【写真は共同】
唯一つかめなかった「日本一」
来季から楽天の第6代監督に就任することが発表された。チームは13年の日本一から一転、2年連続最下位に低迷。今シーズンチームを率いた大久保博元監督が辞意を表明してから混迷を極めていた次期監督選び。近鉄、日本ハムを率いて両球団でリーグ優勝、日本シリーズを経験してきた人物に一本化され、楽天側は複数年契約を打診し、梨田氏もこれを受諾した。
近鉄で強肩強打の捕手として、リーグを代表する選手として君臨。当時盗塁で世界記録を打ち出していたいだてん選手、阪急の福本豊を阻止するためにスローイングはもちろんのこと、いかに素早く送球動作まで持っていけるかと捕球をするポイントや角度までにこだわり、研究に研究を重ねた。もう一つの魅力だった打撃も追求した。柔軟かつ自らのミートポイントを投手が投げ込むさまざまな球種に対応するために編み出した「コンニャク打法」と称される変則打法は有名だ。
そして、甘いマスクで人気もあった。1979年から3年連続でベストナイン、ゴールデングラブ賞(当時はダイヤモンドクラブ賞)を獲得するなど、光り輝いた全盛期だったが、何かが足りなかった。それは「日本一」という称号をつかめなかったことに尽きる。
最後の近鉄監督、そして北海道へ
近鉄監督としては01年にいてまえ打線を率い、球団最後の優勝に導いた 【写真:BBM】
07年11月25日。日本ハムのファンフェスティバル。球団初のリーグ連覇を果たし、母国・米国に戻ることになったトレイ・ヒルマン監督からバトンを受けた。初めて目の当たりにする熱烈な日本ハムファンを前にして梨田は言った。
「連覇したチームを率いることは、ものすごいプレッシャーの中で戦うということでもありますが、いまここに立って、必ずやっていけるということを確信しました」
外から野球をつぶさに見る中で新たな高ぶりを感じていた。そしてオファーを受け、かつての好敵手を率いることを決めた。ファンへの誓いの言葉を発した瞬間、色紙にしたためた「大空と大地」の中で戦うことを決意したのだった。