砲丸投・世界記録保持者の次なる挑戦 リオパラリンピックはやり投で勝負

荒木美晴/MA SPORTS

注目の大学4年生パラアスリート

 重さ4キロの鉄球を顔の近くで構える。下半身にパワーを溜め、瞬発力を使って右腕を前へと突きだすと、それは美しい弧を描いて飛んでいく――。

パラ陸上で注目を集める加藤由希子。砲丸投で世界記録(F46クラス)を持つ大学4年生だ 【写真は共同】

 仙台大学4年、加藤由希子。いま、陸上界で注目を集めるパラアスリートだ。生まれつき左肘から先がなく、砲丸投の投げる動作でリードをとる左腕には義手を着ける。パラ陸上では12メートル47の世界記録保持者(F46クラス)で敵なしの強さを誇り、普段は一般の大会にも積極的に参加。今年9月、大学生活最後の日本インカレは、円盤投のエントリーを見送り、砲丸投のみに集中して臨んだ。本番は、練習時の右手薬指のけがが影響し、予選敗退と納得のいく結果は得られなかった。それでも、「パラ陸上では投てき選手が少ないからすぐに自分の順番がきますが、こういう大会ではスパンを開けて自分の投てきができる。時間の使い方や調整の仕方も含め、すべて学べることばかり。大いに刺激を受けました」と話し、悔しさのなかに充足感を漂わせた。

 日本では健常者と障がい者の統括競技団体が異なるため、競技会は別々に開かれることが一般的だ。そんななか、健常者の大会にエントリーして強化を図るパラアスリートもいる。加藤もまた、「以前は、健常者の全国大会に“出たい”と思っていたけれど、今はそこで“勝つ”ことが目標」と話しており、より高いレベルに挑戦して、モチベーションを向上させる。

避難所でもひとり続けた練習

 宮城県気仙沼市の出身。中学時代から小さな鉄球が相棒だ。砲丸投の選手だったクラス担任に声をかけられたことがきっかけで、競技を始めた。走ることが好きで、女子のサッカーチームを作るなど運動神経が良かった加藤は、ぐんぐん上達。中学2年の時には「ジュニアオリンピック」の県代表に選出されるまでに成長した。

 高校2年の春、加藤は大きな岐路に直面する。東日本大震災の津波で自宅が流され、避難所生活を余儀なくされた。翌年の全国高校総体(インターハイ)出場を目指していた加藤は、学校から借りた砲丸を避難所に持ち込み、屋外のわずかなスペースでひとり練習を続けたという。だが、体重は一気に10キロ近く減り、インターハイ出場も逃してしまう。「でも、やめきれなかった」と加藤。「この悔しさがバネになって、もともとは考えていなかった進学を決意しました」。大学で競技を続けて強くなる。そう心に誓った。

 その大学では、陸上競技部で監督や大学OBのコーチら専門の指導者の指示を仰ぎながら、グライド投法(編注:投げる方向に背を向けた姿勢から投げる方法)のドリルを多く取り入れた練習とウエイトトレーニングに集中。同じ釜の飯を食う仲間たちにも恵まれ、切磋琢磨(せっさたくま)してきた。2学年下の後輩に抜かれて地方大会すら出場できないという敗北感も味わった。だが、ここでもその「悔しさ」が競技者としての自分を強くした。

 負けず嫌いな性格もあって、あらためて基礎から体力づくりに取り組み、左手や下半身の自分なりの使い方を徹底的に模索した。その結果、今年5月の東北インカレでは強敵を抑え、12メートル96の自己ベストをマークして優勝。IPC(国際パラリンピック委員会)公認大会ではなかったため、残念ながらパラ陸上の世界記録には認定されなかったのだが、この結果で日本インカレの出場枠を得ることができたのだ。

 指のけがの影響で今は調子に波があるものの、「私の中で、13メートルは見えている」とさらなる記録更新に自信をのぞかせる。

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著者プロフィール

1998年の長野パラリンピック観戦を機に、パラスポーツの取材を開始。より多くの人に魅力を伝えるべく、国内外の大会に足を運び、スポーツ雑誌やWebサイトに寄稿している。パラリンピックはシドニー大会から東京大会まで、夏季・冬季をあわせて11大会を取材。パラスポーツの報道を専門に行う一般社団法人MA SPORTSの代表を務める。

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