栄光と苦難の“誇らしき”キャリア キャシー・リードが語るスケート人生

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 キャシー・リードの目から涙がこぼれ落ちたのは、現役引退を発表した4月の世界国別対抗戦に話が及んだときのことだった。当時を思い出したのだろう。フリーダンス(FD)の前日に見た夢、感動的なエキシビション、仲間たちやファンからの惜別の言葉。「人生で一番の時間だった」というその瞬間を振り返ったとき、思わず感傷的になってしまったようだ。

現役引退を発表した4月の世界国別対抗戦を振り返り、思わず涙するキャシー 【スポーツナビ】

 キャシーが競技生活から離れて3カ月以上が経過した。弟のクリス・リードとカップルを組み、バンクーバー、ソチと2回の五輪に加え世界選手権にも8回出場。全日本選手権では7回も優勝するなど、キャシーはまぎれもなく日本のアイスダンスをけん引する存在だった。そんな彼女がリンクを降りる決断を下したのは3月の世界選手権中だったという。これまでのキャリアを振り返りつつ、引退に至った経緯、国別対抗戦中の心境、そして現在どのように過ごしているのかを語ってもらった。

緊張した初めての振り付け

――引退してから3カ月がたちました。まずは近況を教えてください。

 4月に引退して、その後に肩の手術をしました。2カ月間休んでリハビリをしているときに、偶然、濱田(美栄)先生がデトロイトにいらっしゃいました。そこで私のこれからのプランをお話したところ、濱田先生が高槻に呼んでくれました。それで7月から振り付けとコーチをしていて、関西大学のアイスリンクで濱田先生のお手伝いをしています。

――引退するまで振り付けをしたことがなかったのですか?

 クリスと2人でステップなどを作ったり、自分たちのプログラムのちょっとした要所要所の振り付けは度々したことがありますが、本当の意味でのプログラムの振り付けは、今回が初めてだったので少し緊張しました。でも、アイスダンスでいろいろな種類のダンスを経験したので、さまざまなダンスの知識や表現、パフォーマンス方法、エッジワーク、きれいにラインを描く方法などは知っています。それを生かして濱田先生のお手伝いをしています。先生から「プログラムを4つ、振り付けしてほしい」と言われていましたが、最終的には7個のプログラムの振り付けをすることになりました(笑)。

――現役時代から振り付けやコーチに興味があったのですか?

 はい、引退したらコーチをやりたいといつも考えていました。でも、いつ、どこで、どうやってコーチを始めたらいいかはまったく分からなかったので、濱田先生に声をかけていただいてすごくうれしかったです。それとともに、私にチャンスを与えて下さって、とても感謝しています。

コーチをするのはすごく面白い

キャシーは肩の手術を経て、7月から振り付けとコーチを担当している 【スポーツナビ】

――指導しているのは主に子どもたちですか?

 ノービス、ジュニアの選手を指導しています。みんなは才能にあふれていて、のみ込みも早いので楽しく、そして生徒さんたちの成長が見られることはとてもうれしいです。私は日本のアイスダンスにより注目が集まるよう、できる限り協力したいと思っています。そのためにも、日本のフィギュア界に貢献していきたいです。濱田先生の生徒さんたちのスケーティング、エッジワーク、音楽的にも優れたプログラムを、振り付けの指導などで向上させていきたいと思っています。私が思い描くコーチや振付師になるための最初のステップです。

――指導する上で工夫していることはありますか?

 コーチをするのはすごく面白いです。異なるレベルの異なる個性を持った生徒を教えるのですから、教え方も変えないといけません。でも、最初は基本的なところから始めて、その生徒がどうやるかを見ます。その後にそれぞれに合ったやり方で教えています。若い生徒にはより基本的なところ、例えばエッジワークやラインの描き方、スピードの出し方、腕の動きなどを教えます。その上で、より高度な技術を教えて、体の動き、腕だけでなく肩や頭を使ったより高度な振り付けを教えていきます。

 濱田先生からは、音楽がまだ決まっていないジュニア選手を任されました。彼女たちのスケーティングを見て、どんな音楽がピッタリかを考えて決めました。音楽の理解はとても大事だと思います。ですので私の振り付けは、音楽や、その中でポイントとなる部分を理解できるように作っています。どの音楽にもストーリーがあります。ジャンプもスピンも大切ですが、特に日本では、選手のレベルを分けるものはスケーティングや表現力だと思います。

国別対抗戦で流した涙の理由

――選手としてのキャリアについて教えてください。引退を決めたのは3月の世界選手権後だったそうですね。決断に至ったきっかけは?

 2月の四大陸選手権に向けてたくさん練習して、すごくワクワクしていました。でも、クリスの膝がまた悪くなって、大会出場をあきらめざるをえませんでした。高いレベルのトレーニングができていても、ある日突然、すべてがダメになって止まってしまいます。それが自分に与える影響がものすごく大きくて、喪失感や虚無感に襲われました。

 その後オフがあってニューヨークに行き、クリスの膝を医者に診てもらいました。そのとき私も肩に違和感があったので診てもらったところ、シーズン後に手術が必要だと言われたんです。たくさんのことが一度に起こったので……すごく複雑な気持ちになりました。それがスケーティングにも精神的にもとても影響して、世界選手権に向けて今までとはまったく違った感じがありました。

 その中でできる限りの練習を積んでいましたがものすごく大変で、「心がいつものようについていかない」と思うようになりました。世界選手権でもスピード感のある演技ができず、ショートダンスが終わった時点で、「今が辞めるときかもしれない」と悟ったんです。クリスのせいでも誰のせいでもありません。

引退を決めたのは、3月の世界選手権のショートダンスが終わった時だった 【Getty Images】

――そうした状況での国別対抗戦は難しかったのではないですか?

 国別対抗戦は日本開催だったので、絶対にやりたいと思っていました。練習は本当に難しかったのですが、頑張ってやりました。厳密に言えば、ベストな状態ではありませんでしたが、最後の演技となったエキシビションはすごく感動して、人生で一番の時間となりましたし、素晴らしい現役生活の終わりを迎えることができました。

――国別対抗戦のフリーダンス(FD)を滑った後に涙を流していましたね。

 FDの一晩前、7年前に亡くなった母方の祖母が夢に出てきました。「最後の演技よ。心配しないで、あなたが好きなことをやって楽しみなさい」と言うんです。クリーンな演技ができればと思っていましたが、最後に転倒してしまいました。その時は「何でこんなことが起こってしまったの!」と思いましたね(苦笑)。でも、笑顔で起き上がって、演技を続けました。そして素晴らしい演技をすることができて、とても感傷的になってしまったんです。誰も知らなかったけど、私だけはこれが最後の演技だと分かっていたので、涙をこらえることができませんでした。

 私はすごく感情的なタイプです。だからこそ振り付けが好きだし、音楽を捉えて表現することもできました。さまざまな表現、ダンス、演技も本当に楽しんでやっていました。今後は他のスケーターがそういったことを習得する手助けができると思います。

国別対抗戦のフリーダンスを終えて 【写真:伊藤真吾/アフロスポーツ】

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