女子長距離・鈴木亜由子の歩むべき道 自分で作った“枠”を打ち破るために
脚の不安を抱えつつも代表権獲得
6月の日本選手権では脚の不安を抱えての出場となった鈴木亜由子。それでも3位に入り、8月の世界選手権代表の座をつかんだ 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】
鈴木は「本当は優勝して代表になりたかったけど、中盤で思ったより余裕がなくなり、後半も勝負できなかった。ラスト200メートルは脚がまったく動かないのでマズいと思ったけど、最低限の走りはできて次につながりました。悔しさ半分、ホッとしたのが半分でした」と振り返る。
「持ちタイムが一番良かったのでプレッシャーはありました。それに創部2年目になる会社の期待も感じながらでしたから……。でも逆に応援団の数は一番多いと思うので、それを良い意味で力に変えたいなと思って。ホッとはしたけど、これで終わりではなく、ここからがスタートだと思うし、世界選手権ではしっかり走って何かを得て、今後へつなげたいなと思います」
日本選手権後は2週間ほど練習内容を落として脚の回復に努め、練習ができる状態に戻した。そして7月中旬には、合宿のため米国・ボルダーへと出発した。
「世界選手権では自分の力を出し切ってやっと決勝へ進めるくらいだと思うので、この1カ月でどれだけ頑張って練習をして、ギリギリのところで踏ん張れるかだと思います。予選では多分、外国勢が楽に(予選を)通過したいとスローペースになって、最後に『ヨーイドン』というレースをしたがると思う。ラスト1周勝負になると私は勝てないので、ある程度自分のペースで押していくしかない。合宿ではそれをやれる力をつけなければいけないと思います」。こう言って初の世界選手権へ向けて気持ちを引き締める。
高校時代に2度の疲労骨折
元々、バスケと陸上を平行して行う異色な経歴を持つ。高校も陸上の強い高校ではなく、進学校を選んでいる 【スポーツナビ】
陸上競技は小学校から中学校にかけて豊橋陸上クラブという地元のクラブに入り、頭角を現してきた。その後、高校では陸上の強豪校は選ばず、地元の進学校である時習館高に進んで陸上部に所属した。
「小学校の時は陸上と並行してミニバスケットボールをやっていたし、中学では陸上部がなかったし、バスケットの方が好きだったのでバスケットボール部に入っていたんです。高校でも本当は両立させたかったけど、時間的に制限があったのと、上を目指すとなればバスケはきついかなとも思って陸上を選びました。でも、高校の3年間は足の甲を2回疲労骨折したりで厳しい時期というか、踏ん張る時期だったかなと思います」
高校卒業後も陸上の強豪校ではなく、名古屋大進学を選んだ。
強豪校で競技を続けることに不安があり、自分のペースでのびのびとやれる環境の方がいいと考えたからだ。
「高校で大きな故障もしていたので、大学ではしっかり復活したいと思ってやっていました。大学の監督も、先を見据えて無理をさせないという考えでやらせてくれたので、それはすごくありがたかったです」
名古屋大を選んだ理由の一つには、男子選手と一緒に練習ができるということがあった。集まって練習するのは週3回だけだが、数校が合同でやるために選手は多く、女子の国内トップより少し上のレベルの男子選手がいて、一緒に質の高い練習もできた。そういう中で自立心も育てられ、ポイント練習で合わせていく力も養われたのではないかという。