「運命感じる」東京五輪で金メダルを 自転車競技界の期待の星 橋本英也

スポーツナビ

ロンドン五輪から正式種目となった自転車のトラック種目「オムニアム」。その新競技でアジアの頂点に立ったのが現在21歳の橋本英也 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

 自転車競技のトラックレースで、2012年のロンドン五輪から採用された「オムニアム」。2日間6種目の総合成績で勝者を決める複合競技で、体力やスプリント力はもちろん、戦略や駆け引きの能力まで問われるトラック種目となる。

 この種目で昨年、アジア大会(韓国・仁川)の頂点に立ったのが、現在21歳の大学生・橋本英也(鹿屋体育大)だ。最終種目となるポイントレースで大逆転劇を演じ、見事金メダルを獲得。来年のリオデジャネイロ五輪(以下、リオ五輪)、そして20年東京五輪の期待の星として名乗りを挙げた。

 今回スポーツナビでは、競技を始めたきっかけや転機、そして五輪への思いなどを聞いた。

トライアスロンから自転車専念へ

もともとはトライアスロンをやっていたが、中学生の頃に自転車のトレーニングに参加し、高校から本格的に始める 【スポーツナビ】

――簡単に経歴を振り返らせて頂きますが、自転車競技を始めたきっかけは?

 もともと親の影響で、小学生の頃からトライアスロンをやっていました。それで自転車が速かったので、中学2年生の時に、岐阜国体(2012年)の強化の一環ということで自分の母校である岐南工高のトレーニングに参加させてもらいました。そこから自転車競技をもっとしっかり始めることになりました。

――トライアスロンだと、陸上、水泳もあったと思いますが、自転車に絞った理由は?

 水泳は小さい頃からやっていたので、それほど悪くなかったのですが、陸上が致命的に遅くて。(笑)
 自転車は競技力がほかの競技と比べて、みるみる上がっていったので、楽しくなりました。

――トライアスロンということは、最初はロードレースを走っていた?

 はい、ロードが中心です。今でもトレーニングはロードがベースとなるのですが、自分の母校がトラックの中距離が強い高校でしたので、それでトラックの競技力が上がっていきました。

――自転車競技に専念する中で、憧れや目標のようなものはありましたか?

 最初は誰かに憧れたというよりも、自転車に乗ることが楽しくて。そのことが、憧れであり、目標でした。自転車に乗ることが大好きだったので。

海外に出て実感した世界との差

――高校生になると、高校総体で優勝、国体でも少年の部で優勝するなど輝かしい成績を残しました。その頃、競技との向き合い方に変化はありましたか?

 自分の競技に対するスタンスは、「勝とう」と思うのではなく、競技を楽しんで「自分のベストを尽くす」ことだと思っています。勝とうとし過ぎると、けがもするし、劣勢になった時にあきらめてベストが出せないと思います。とにかく負けてもいいから、自分のベストを尽くして走ろうといつも思っています。

――実際、転機になったような出来事はありますか?

 転機で言うと、高校2年生の時、オーストラリアのタスマニアカーニバルに参加して、初めて海外のレースに出場した時です。ここでは、自分の走りがまったく通用しなくて、世界には上には上がいる、特にオーストラリアは自転車が盛んな地域なので、そこで走ったことで競技に対して新しい認識が生まれました。

――海外との差はどんなところだと感じましたか?

 一番の違いは、自転車競技が生活に広まっていることです。海外のレースでは観客を呼んで、観客に見せるレースをしています。自分も、大勢の観客の前で走るのは楽しかったです。

――日本ではまだ、競技レースよりも、競輪の方が広く見られていますよね。ただ、今はロードレースのブームなどもあり、自転車競技の人気も上がるかも知れません。

 自転車のトラックレースの場合、欧州では3日間レースなどもありますが、それは夜にレースがあって、仕事帰りに観客が見に来て、ビールを飲みながら観戦するというようなこともあります。日本でもそういう文化が根付くといいなと思います。その中で、自転車競技の楽しさ、エンターテインメント性をもっと伝えたいです。

1/2ページ

著者プロフィール

スポーツナビ編集部による執筆・編集・構成の記事。コラムやインタビューなどの深い読み物や、“今知りたい”スポーツの最新情報をお届けします。

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント