鈴木明子「真央、佳菜子と号泣した」 改めて振り返るソチ五輪、引退後の1年

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2度目の五輪出場となったソチの後、世界選手権を経て現役を引退した鈴木明子。1年たった今、当時を振り返る 【写真:中西祐介/アフロスポーツ】

 ちょうど1年前の2014年2月20日(現地時間)、ソチ五輪では女子フィギュアスケートのフリースケーティング(FS)が行われていた。2度目の五輪出場となった鈴木明子は、4年前のバンクーバー大会と同じ8位という結果で戦いを終えた。その後、3月の世界選手権を最後に現役を退いた鈴木は現在、プロフィギュアスケーターとして活動する傍ら、テレビ番組で解説を務めるなどメディアにも多く出演している。

 数々の感動を巻き起こしたソチ五輪から1年。一緒に出場した浅田真央、村上佳菜子(ともに中京大)とともに涙を流したFS後のエピソード、五輪を通じて学んだこと、そして引退後の生活について語ってもらった。

痛みの思い出が強いソチ五輪

ソチ五輪は「痛みの思い出が強い大会」だったと話す。万全な状態でない中でも、ベストを尽くそうとしていた 【写真:青木紘二/アフロスポーツ】

――昨年の今日(取材日は2月9日)はちょうどソチ五輪の団体戦、FSで滑っていました。鈴木さんにとってソチ五輪はどういう大会でしたか?

 私にとっては、足が痛かったので、痛みの思い出が強い大会でした。痛みを抱えて試合に出ることは、選手生活でほとんどなかったんです。(選考会となった)全日本選手権の頃からずっと痛みがあったんですけど、最後だと決めて臨んだ五輪だったし、その痛みと自分の気持ちを持っていくのが大変でした。

――全日本では素晴らしい演技をして優勝しましたよね。

 代表に決まったあとも、練習で追い込んでどんどん痛みが悪化していってしまいました。でも五輪直前でしたし、休むということが考えられなくて……。悪化していっているのに練習をやってしまったのは、今考えると良くなかったとは思います。とはいえ、あの時は必死だったし、仕方がなかったのかなと思います。

――具体的には足のどこが痛かったのですか?

 両足の小指です。うおのめがひどくなって、足が炎症してしまい、五輪の時は親指くらいの大きさに腫れていました。トゥ(つま先)を付いてジャンプを跳ぶじゃないですか。だから打ち付ける感じになってしまい、ずっと炎症が続いている状態でした。靴がまず履けないんですよ。泣きながら無理やり押し込んでいましたね(笑)。

――個人戦では8位でした。結果についてご自身ではどのように受け止めていますか?

 自分自身では(10年の)バンクーバー五輪も8位だったので、それより上に行きたいという気持ちがありました。それからの4年間では(12年の)世界選手権でも1度銅メダルを取ったので、やっぱり自分の求めているものもすごく高かったと思います。だから万全の状態じゃない中で自分としては歯がゆかったです。ただ試合直前になって、現時点でのベストを尽くすしかないと思ったんです。過去の一番良い演技や、全日本のときのパーフェクトの演技をしようと思っても、状態が全然違うから、今できる最大限を尽くすしかないと悟ったというか。そういうふうに気持ちを切り替えられたから、ジャンプを1つミスしようと、それだけでスケートは終わりじゃないなと気づくことができました。特にジャンプが得意だったわけじゃないし、自分の本来のスケートって、人にずっと何かを伝えたいという気持ちでやってきたから、それに向けてベストを尽くそうと、良い意味で吹っ切れたんです。8位は正直に言うと悔しいですけど、最後まであきらめなかったからこそ取れた順位だったと思います。

「一番印象に残っているのは真央の演技」

五輪で一緒に戦った浅田(中央)の演技が一番印象に残っていると話す 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

――ソチ五輪で一番印象に残っていることは何ですか?

 一番印象に残っているのは自分のことじゃなく、真央のことですね。ショートプログラム(SP)をああいう形(16位)で終え、FSを迎えることになって……。団体戦から一緒に合宿に行って、一番間近で状態をずっと見てきたし、さらにもっと前から共にやってきたわけです。FSも自分の演技が終わってから見たんですけど、あのFSは忘れられないというか、何度見ても泣いてしまいますね(笑)。自分の中でソチ五輪で一番印象に残っているのは真央の演技です。

――FSの演技が終わったあとに浅田選手とはお話をされたのですか?

 私より彼女は先に滑ったんですね。それで私が滑り終わったあと、スケーターズラウンジで私と真央と佳菜子の3人でちょうど会ったんです。それで顔を見た瞬間に誰も何も言うわけではなく、3人で抱き合いながら号泣してしまいました。今までの過程をみんな知っているし、同じ名古屋で、中京大でも一緒に練習してきました。試合前ってみんなで話すことはなかなかないんですけど、お互いがお互いを分かっていて、ようやく解放されたというか、みんなでやり遂げたという気持ちから、何も言葉を発したわけでもないのに、みんなでわんわん泣いちゃったんですよね。言葉は必要なかったし、その3人だったからこそ何も言わなくても分かったんだと思います。

――それだけ通じ合っていたんですね。

 そうですね。みんな苦しかったんだなと思います。いろいろな思いもありますし、プレッシャーも感じていました。みんながみんな不安と弱くなりそうな自分と戦っていて、それが分かるから涙という形でつながったのかなと思いますね。

――浅田選手は大会前や期間中、どのような状態だったのでしょうか?

 実際に見ていて、練習の調子は悪くなかったので、あのSPはびっくりしたんですけど、そこから立て直したのはやはりすごいですよね。私も朝の練習を見て状態を分かっていたし、近くにいたからこそ、その苦しさがすごく分かりました。私は彼女が感じているプレッシャーを味わったことがないんですけど、相当なものだと思います。それも小さい頃からじゃないですか。良い時でも悪い時でもすべてが注目されているので、かなりプレッシャーになっていたんじゃないかと思います。

――ご自身だったら耐えられない?

 耐えられないと思います。でも真央がいたからこそ、フィギュアってここまで人気が出たんじゃないでしょうか。そうなるまでにそれだけのものを背負ってきているので、辛かっただろうなと思います。

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