大田泰示の覚醒を予感させる技術の変化 未完の大器に訪れた最後の大チャンス

鷲田康

坂本勇人にあったギラギラした輝き

毎年「チャンス」と言われながら、つかむことができなかった大田だが、「今年は違う」ようだ 【写真は共同】

 チームのピンチを自分のチャンスにする。
 ただ才能だけではない。それぐらいの図々しい気持ちと強い運がなければ、若手選手がおいそれとポジションを奪うことはできない。
 それがプロの世界である。

「坂本にはギラギラした輝きがあった」

 こう振り返るのは巨人の原辰徳監督だった。
 坂本とは、もちろん今は押しも押されもしない巨人の主軸となった坂本勇人のことである。
 2008年。正遊撃手の二岡智宏がひざの故障で出遅れたこともあり、坂本はオープン戦で出場機会を与えられた。そこで確実に結果を出し、好調を買われて開幕戦では「8番・二塁」で先発出場。この試合は無安打に終わったが、強運はついて回る。
 今度はその試合で二岡が試合中に右ふくらはぎの肉離れを起こして戦線離脱。そこで2試合目から遊撃に回ると8試合目の阪神戦(東京ドーム)と次の横浜戦(横浜)で2試合連続本塁打を放つなど結果を残して、がっちりポジションを手繰り寄せた。

「勇人の場合は使ってすぐに結果が継続した。そういう過程を経て、多少、調子が落ちてきても、何か使い続けようと思わせるギラギラした輝きを見せ続けた。一人の選手が出てくるときは、必ずそういうエネルギーを放出しているものなんだ」

 結果的には坂本はこの年、二岡の復帰後も遊撃のレギュラーを明け渡すことなく全試合に出場。奪うべくしてポジションを奪う選手とは、そういうものなのである。

「今年は違う」と熱視線を送る指揮官

 だがこの選手は、そうはいかなかった。
 少なくとも昨年までは、だが……。
 超高校級のスラッガーと騒がれ、そこから未完の大器となって、早7年が経とうとしている。これまで何度も「チャンス」は目の前にぶら下がっていた。ただ、その「チャンス」をことごとくつかみそこねて、今はもう「またか……」「どうせ……」という声の方が先に聞こえてくる始末である。

 大田泰示、24歳。

 東海大相模高では通算65本塁打を放ち、ドラフト1位で巨人に入団。松井秀喜の「背番号55」を引き継いだ大型スラッガーである。

 それがいまだ外野のポジションを奪うどころか、1軍に定着もできないままに、一昨年のオフには背番号「55」も“剥奪”された。何より毎年のように「チャンス」と言われながら、それをつかむことができないことで、いつしかそこまでの選手という評価が固まりかけてしまっている。

 ただ、そんな大田に「今年は違う」と、熱い視線を送るのが、実は原監督なのである。

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著者プロフィール

1957年埼玉県生まれ。慶應義塾大学卒業後、報知新聞社入社。91年オフから巨人キャップとして93年の長嶋監督復帰、松井秀喜の入団などを取材。2003年に独立。日米を問わず野球の面白さを現場から伝え続け、雑誌、新聞で活躍。著書に『ホームラン術』『松井秀喜の言葉』『10・8 巨人VS.中日 史上最高の決戦』『長嶋茂雄 最後の日。1974.10.14』などがある。

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