オリックス・西勇輝を変えた責任と覚悟 エース金子の背中を追いかけて――
75年ぶりの球団記録を達成
5月13日、開幕7連勝で75年ぶりの球団記録を達成した西勇輝 【写真は共同】
75年ぶり――。開幕からの連勝が球団記録(1939年、前身の阪急・高橋敏投手が達成した開幕7連勝)に並んだというのだから、「西勇輝」の名前は、球団史にしっかりと刻まれたというわけだ。75年という時を経てのタイ記録。それでも「記録は、周りの方の話で知りました。光栄ですが、それよりも1戦1戦戦うことが大切で……」と、全く関心を示さなかった。
考え方の進歩と成長を求めた西本コーチ
「あのドラ息子がねぇ……」
森脇政権1年目の昨シーズン、西にかけられた期待は小さくなかった。プロ3年目の2011年に2ケタ10勝をマークした背番号「21」は、翌12年シーズンの最終戦ではノーヒットノーランという離れ業をやってのけた。
しかし、昨シーズンの成績は、さらなる右肩上がりの成長曲線を期待した首脳陣から見れば、もの足りないものだったのだ。登板試合数28、投球回166はいずれも自己最多で、勝ち星も2ケタにこそ届かなかったものの9勝まで伸ばしたにもかかわらず、である。そう、首脳陣は、西の投手としての器の大きさに気づいていたのだ。
昨シーズン、1軍の投手コーチとして西を見守り続けた西本聖(現オリックス育成担当コーチ)は言った。「彼のボールはもはやプロの世界でも一級品ですよ。ただ、彼に進歩、成長を求めたいのは、投手としての考え方という点においてです。西はコントロールの良い投手です。簡単にストライクが取れるんですよ。でもね、勝負球には、必ずしもストライクはいらないんです。むしろ、いかにボールで相手を封じるかが、大切になる。その辺りも含めた頭の切り換えについて、昨年は言い続けていましたね」と。
昨シーズン、試合中にベンチ内で西を諭す西本コーチの姿は、幾度となくTVカメラにも捉えられている。