「ここで引退するのは惜しいと感じた」=フィギュア小塚崇彦インタビュー 前編

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失意を味わった代表選考、急きょ巡ってきた世界選手権出場など、激動のシーズンを過ごした小塚がこの1年を振り返ってくれた 【スポーツナビ】

 小塚崇彦(トヨタ自動車)は終始リラックスし、穏やかな笑みを浮かべていた。取材日は世界選手権のエキシビション翌日。シーズンが終了し、重圧のかかる戦いから解放されたこともあったのだろう。冗談を交えながら、この1年を振り返ってくれた。
 小塚にとって今季はスケート人生で最大の苦難に見舞われたシーズンだった。序盤は昨季から続くけがに悩まされ、思うような結果が出なかった。ソチ五輪出場を懸けた昨年末の全日本選手権では3位に入り選考基準を満たしながらも、代表の座は逃した。25歳となり去就も注目されたが、小塚が下した決断は「現役続行」。1月の四大陸選手権で2位となり、「せっかく自分の体を知ることもできたし、ここで引退するのは自分としても惜しいと感じたんです」と、その理由を語る。
 急きょ出場が決まった世界選手権では6位。準備期間がわずか3週間と短かったものの、ある程度の結果を残せたことで自信につながった。「もっと完璧にできたら上は目指せる」。小塚の競技に対する意欲は衰えるどころか、さらに高まっている。

「本番の雰囲気が自分の力を引き上げてくれた」

わずか3週間の準備期間だったにもかかわらず、世界選手権のSPでは満足いく演技を披露。小さく拳を握り締め、喜びを表した 【坂本清】

――まずは世界選手権お疲れ様でした。日本での大会を戦ってみてどう感じましたか?

 準備期間が短くて、自分の満足いく状態までは上げられていなかったんですね。自信がつく前に世界選手権を迎えてしまい、「どうなるかな」と思っていたんですけど、実際に滑ってみて、そこそこうまくいったかなと(笑)。「何でかな」と考えたところ、最後の最後で引き締められたのは、たくさんのお客さんの前で滑ることができたからだと思っています。そういう意味では、すごく不思議な感覚でしたね。3週間という練習期間であれだけの演技ができたというのは、本番の雰囲気や緊張感など全体的なものが自分の力を引き上げてくれたからだと思っています。

――佐藤久美子コーチが「マジック」とおっしゃっていたとか。

 名古屋で練習しているときは、本当にショートプログラム(SP)のジャンプで回転することもできない状態できていて、アクセルやルッツも跳べない状況でした。4回転トゥループどころの話じゃなかったです(笑)。アクセルもままならない状態で会場に来て、練習しているうちに体が慣れてきたというか。それで「たぶん大丈夫かな」と思いましたね。自分の中では「間に合ってよかった〜」という感じです(笑)。

――準備期間が短かった中で、結果と内容にはある程度満足しているのでしょうか?

 SPに関してはあれ以上できなかったと思います。ただフリースケーティング(FS)はもう少しうまくまとめられたかなと。そういう意味では少し悔しいですね。自分の経験を踏まえれば、もうちょっときれいに、うまくできたかなという思いはあります。練習の状態を考えると、これ以上の贅沢を言ってはいけないのかなと思いつつ、悔しい思いもあり、今はその狭間にいます(笑)。

――今大会で得た収穫はご自身でどう分析していますか?

 集中力はあるんだなと(笑)。今まで積み重ねてきたものがあったからこそ、ちょっと期間が空いてもまとめられたのかなと思います。何もやっていなくて3週間でまとめられたかと言うとそうではなく、ある程度蓄積されたものを3週間で戻せるくらいのところにいるんだなというのが確認できた。それが収穫かなと思います。

「自分の体を知ることに時間がかかってしまった」

今季序盤は負傷の影響もあり、演技に精彩を欠いた。「自分の体を知るのに時間がかかってしまった」と小塚は振り返る 【坂本清】

――今季はけがもあり厳しいシーズンだったと思います。実際にはどのような状態だったのでしょうか?

 病名を言うと『先天性臼蓋 (きゅうがい) 形成不全』というものです。小さいころから股関節の臼蓋という器が浅くてずれやすく、それが動くことによって、軽い亜脱臼を繰り返すような状態なんですね。それを起こさないように周りの筋肉をしっかり鍛えることが大事で、周りの筋肉が疲れてくるとこうした状態が起こりやすくなる。今は出水(慎一)先生というトレーナーの方に、体のケアを毎日してもらって、次の日に備えています。それをやっている限りは痛みが出ることは少なくて、現在はこのままやっていても大丈夫という状態ですね。

――序盤戦はけがの影響もあり結果が付いてきませんでした。

 自分の体を知るということに時間がかかり過ぎて、スケートの練習をそこまで積めていなかったんです。体作りから始めたので、本当に段階を踏み、全日本選手権に合わせていこうと考えていました。やはり全日本選手権というものが、日本人の選手にとっては一番大事になってくるので、そこに合わせるように体を作っていました。もちろんグランプリ(GP)シリーズをおろそかにしていたわけではないですよ。自分の状態がどういうものなのかを確認する場でした。僕は1つ1つの試合は大切なものと考えています。「大きな試合だから頑張る、小さな試合だからどうでもいいかな」と考えると、大きな試合に出場したとき、小さな試合でやっていなかった反動は絶対に出てくるんです。だからどんな大会でも僕はしっかりやりたいと思っています。でも段階を踏んでやっていかなきゃいけない状態だったので、全力でやっているけどなかなか追いつかないというのはあったと思います。

――ご自身の体を意識するようになったのは、どのくらいの時期からだったのですか?

 昨シーズン急に痛くなったというよりも、前からなんとなく痛くて、それでもだましだましやっていたらどうにかなっていたんですね。ジャンプのタイミングを変えたり、体のポジションを変えたりしてやっていたんですけど、だんだんそれも追いつかなくなってしまった。もうダメとなったときに、足が動かない状況になっていたんです。それが昨シーズン(2012年)のGPシリーズのスケートアメリカのときでした。ロシア杯では練習のときから力が入らない感じで、本番だけ合わせるような感じでした。GPファイナルのときもそうですね。そのときは何が起こっていたか分からなくて、「痛いけど大丈夫だろう、根性だ!」みたいな感じでやっていました。でもその後はバブルが崩壊するように、それがバーンとはじけて、痛くて全然できないような状態になってしまったんです。それで出水先生に診てもらいながら、病院に行っていました。ただ、そんな状態でやっているうちに、だんだん何をしたら痛くなるか、どれくらい練習したら痛くなるのかが分かってきて、それならトレーニング次第で抑えられるんじゃないかと。

――なるほど。それで状態が上向いてきたと感じたのはいつぐらいからだったのでしょうか?

『先天性臼蓋形成不全』だけではなく、骨の先っぽが飛び出て股関節唇(編注:股関節のヘリを覆う軟らかい組織。大腿骨の骨頭が外に外れるのを防ぐ役割がある)を損傷し、余計浅くなり、その方向に行くとずれるということも起こっていたようです。だからそういう方向に行かないように出水先生に整骨をしてもらって、しっかり練習をできるように考えてやっていました。「ピースがちゃんとはまったな」と感じたのが今季のGPシリーズの中国杯が終わったくらいからですね。これだったら大丈夫かなと思いました。

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