箱根から巣立つ柏原竜二、「全力」を出し続けた4年間と描く未来=箱根駅伝

加藤康博

4年間で3度の総合優勝を経験した柏原。箱根の山を上り終えた柏原が、これから目指すものは―― 【写真:北村大樹/アフロスポーツ】

 レース前は早大、東洋大、駒大の“3強”、もしくは東洋大、駒大の“2強”といわれた第88回箱根駅伝(1月2日、3日)。終わってみれば、往路2区でトップに立ち、2位駒大に9分2秒の大差をつけて優勝した東洋大の“1強”だった。

 中でも、2年ぶりに5区山上りで区間新記録を樹立した柏原竜二(東洋大4年)の強さには誰もがため息をついた。本人はその未来に何を思い描くのだろうか。4度の箱根を終えた柏原の軌跡をここで振り返ってみる。

山での強さを見せ、“期待の星”に

 柏原は、福島県のいわき総合高3年時に5000メートルで高校ランク2位に入っているが、インターハイや全国高校駅伝の大舞台は経験していない。しかし、その能力は東洋大でスカウトを担当する佐藤尚コーチによって早くから見出されていた。

 そして東洋大の入学後まもなく、1年生ながら関東インカレ(関東学生対校選手権)1万メートルで日本人トップに入るなど、その才能を発揮し始める。当時、柏原を指導していた川嶋伸次前監督は振り返る。
「彼のすごいところは、練習でも前半から全力で突っ込むところ。レース前の3000メートル走でも、最初の1000メートルを全力で飛ばすんです。抑えろといっても聞かない。そうして自分を追い込んでいく強さを持っていました」
 練習でもレースでも常に全力を出し切る。その妥協のない姿勢は、この当時から発揮されていた。

 そして迎えた、大学1年時の箱根駅伝(第85回、2009年)。ここで柏原はかつてない最大級の「全力ぶり」を見せ、5区で1時間17分18秒の区間新記録を樹立、さらに東洋大の初優勝に貢献した。“学生長距離界の新星”から、箱根駅伝を見るすべての人の“期待の星”になったのである。この初めての箱根駅伝終了の翌日、埼玉県にある合宿所でこんなエピソードを明かしてくれた。

「初めての箱根駅伝でしたが、佐藤尚監督代行(この年、元部員の不祥事により川嶋監督が辞任)からの指示は完全に無視しました。最初の1キロを3分5秒くらいで入って、5キロを15分20秒から30秒で通過するように言われたんですが、2分50秒で入って、5キロの通過は14分50秒を切っていました。たすきをもらった瞬間から、一番に芦ノ湖の(往路)フィニッシュテープを切ることしか考えていなかったんです」

 目標を見定めたらそれに向かって突き進む。その集中力は天性のものなのだろう。顔色を変えず、平然とこうした話をするあたりは、やはり大物だった。

 そして大学2年目(2010年、第86回箱根駅伝)は自身の記録をさらに短縮する1時間17分8秒の記録で、東洋大の2連覇を大きく引き寄せた。前年と同様、「前にいる選手は全員、抜いてやろうと思って走った」と語り、実際、前を走る6人すべてを抜き去った。山での強さが本物であることを証明して見せたのである。

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著者プロフィール

スポーツライター。「スポーツの周辺にある物事や人」までを執筆対象としている。コピーライターとして広告作成やブランディングも手がける。著書に『消えたダービーマッチ』(コスミック出版)

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