大林素子が語る挫折と波乱に満ちたバレー人生

情報提供:オリコンDD
1メートル82の高身長&サウスポーという資質を生かし、女子バレーボール界に君臨。世界トップレベルのチームへ移籍し、「女子選手プロ1号」「海外移籍1号」ともてはやされた。現役引退後は華麗な経歴を武器に芸能界へ転身。いまやスポーツキャスターをこなし、バラエティー番組にも出演。舞台女優としての評価も高い。次々と「夢」を実現できるのは、解雇とバッシングという“荒波”を乗り越えたからこそ。死も考えるほど深いコンプレックスが「夢」のきっかけになっていた。

“心の地雷”に傷つく毎日。自殺も考えた幼少期

幼少期は高い身長をコンプレックスに感じ、思い悩んでいたと語る大林 【写真:江藤大作】

――子供の頃、背が高いことがとても嫌だったそうですね。

 幼稚園の頃から、すっごくいじめられたから……。「大きい」とか「デカい」と。ほかの人からすれば「うわ、大きいですね、素敵ですね」と言う褒め言葉かもしれない。でも私には苦痛で……。「デカい」なんて最大級に一番嫌な言われたくない言葉。これは本人にしか分からない。「からかい」とか「冗談」「おちょくる」という形で人は簡単に言うけれど、言われたくない言葉や傷つく言葉は相手によってまったく違うから。

――子供は素直に容赦なく思ったことを口にしちゃいますが、大人は?

 幼稚園の卒園アルバムを読み返すと、担任の先生から「“ジャイアント素子お姉ちゃん”と言われて親しまれていましたね」と書いてあるけど、「違う! 親しまれていたんじゃなくて、いじめられていたんだ!」と切なく思いました。先生から見れば「いつもクラスの中心」と褒めているのかもしれないけど全然違う。「やーい、デカデカデカ林!」とか「うどの大木」と言われたり……。

――当時の身長はどれくらいですか?

 いつも頭一つ分は出ていました。小学6年で170センチ。物心がついたときから「大きいのね」「デッカイ」と言われ続けて、幼稚園の頃には「自分は普通じゃない」と。お片づけの時間も、立つと大きくて目立つから、ヒザですりながらゴミを集めていました。自分のことが嫌いだし、「大きいことは悪いことだ」とずーっと思っていました。背中を丸めてちょっとでも小さく見えるようにしたり、何も発言しないで目立たないようにしていました。

――小学校に入っても、状況は変わらないですよね……。

 「デカイ、デカイ」と言われるのは相変わらず。ランドセルのベルトがきつくて背負えないから、先生から「手提げバッグでいい」と一人だけ特別扱いされたり、机が一人だけ1サイズ大きかったり……。同級生も悪気はないけど、「デッケエな、おまえ。前が見えねえよ」とか「座ってください! 前が見えません」とか……。当時の自宅が11階建ての団地で、「ああ、ここから飛び降りれば……」と。ウチの近所は自殺の名所だったから、自殺は身近だった。何回も何回も「ああ、いま死んだら絶対楽だよな」と思った……。


外で遊ぶより自宅にいるのが好きな大人しい少女は、自殺を考えるほど傷ついていた。その人が気にしている事柄=“心の地雷”は人によって異なる。大人になると、実は“地雷”は増えていく。自分の物差しだけで測った褒め言葉は、時に相手を刺す刃になるかもしれない。

挫折が教えてくれた、選手として取り組む姿勢

挫折を経験したことによって、アスリートとしての感覚を身につけることができた 【写真:江藤大作】

――小学4年のとき、女子バレーのスポーツ漫画「アタックNo.1」を見て「バレーの五輪選手になる」と決めて、中学からバレーを始めました。
 
 実は運動が嫌い。体力もなかった。入部してすぐ、半年間さぼっていました(笑)。秋の新人戦のメンバーに選ばれたけど、練習をしていないから、試合では何もできない。スパイクが打てない。レシーブが拾えない。サーブで狙われる……。私のせいで簡単に負けちゃった。

――練習していない選手のせいで試合に負ける……それはまずいですよね。
 
 試合後はさすがに「練習をしなきゃいけないな」と。でも監督の作道講一郎先生から「練習もしていないのに、落ち込んだり反省する資格なんてないぞ。みんなはちゃんとコツコツ練習をしてきた。おまえはそれをしてこなかった」と言われた。私を代えていれば試合には簡単に勝てたけど、あえて最後まで出したそうです。チームメートから「大林さんを代えてください!」とブーイングがあったけど、「大林に挫折を感じさせたかったから代えなかった」と。

――監督は、なぜ大林さんに“あえて”挫折を経験させたのでしょうか?

 代えてチームが試合に勝てば、私は痛手も感じずそれ以降も練習を頑張らないだろう、と。だから最後まで代えないで「準備もしないでコートに立っている自分が恥ずかしい」と教えたかったそうです。一つの勝利を失うかもしれないけど、監督としては一人の選手の取り組む姿勢を変えるためにやった決断だったんですね。「あえて最後まで使い続けたんだ」と監督から聞きました。

――可能性を無駄にしている生徒に「気づき」を与えるためだったのですね。
 
 次の日から「生まれ変わって練習をやろう! うまくなりたい! あんな恥ずかしい思いは二度と嫌だ」と。“プロセスの大切さ”や“人としてどうあるべきか”を教えてもらいました。本当は毎日さぼりたいけど「私は世界一になるんだ! だから誰よりも早く体育館へ行って、誰よりも最後までやろう」と。

――「世界一」という夢が出来たことで、「誰よりも練習する」目標ができた。
 
 練習時間は限られています。その日からのモットーは「人より1本、1点、1周多くやろう」になりました。人より10回、20回多くやるのはしんどい。「だから人より1つだけでも多くやろう」と。その思いは現役選手を辞めるまで続いていました。

――ライバルより一つでもいいから多く努力することが大切だ、と。
 
 レギュラーの6人は同じ時間の中で練習している。だから与えられた練習以外で、いかに自分の時間を使って“何”をするかが問われる。仲間との練習中でもいかに人と違う“何か”を得られるかが大切。人は寝ないでずっとプレーすることはできない。だから1分1秒を常に大切にする。本当に小さいことからコツコツ。“ちりも積もれば……”という感覚を、アスリートはみんな持っている。


頂点に立てる選手。それは練習時間の中で見せる「濃厚さ」と、練習外でも学ぼうとする「斬新な視点」から生まれる。「点」はやがて「線」になる。集中力とさまざまな視点を持った者だけが、トップアスリートとしての感覚を体得できる。

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