殺人容疑で逮捕されたフラメンゴのGK

 フラメンゴの元キャプテンでGKのブルーノ・フェルナンデス・ソウザはACミランと間もなく契約を交わすはずだった。ところが彼は今、元ガールフレンドの殺害容疑で起訴されている。ブラジルではここ数カ月この話題でもちきりで、選手たちがどのようにギャングと麻薬ディーラーとつながっているのかも明るみになってきた。

 6月、1人の少女が行方不明になった。エリザ・サムディオはポルノ映画の女優であり、売春婦だった。しかし、大半のブラジルメディアはその事実を隠し、単に「学生」として扱った。
 エリザは4カ月になる赤ん坊を認知してもらうために、リオデジャネイロからミナスジェライス州のエスメラルダまで出掛けた。彼女の家族が彼女とコンタクトを取れなくなったのが6月4日、26日には赤ん坊のブルニーニョがエスメラルダの街から数キロの場所で生きたまま発見されたが、母親の姿はなかった。7月7日、警察はブルーノの身柄を拘束する。
 ブルーノの名で知られる人気フットボーラーはエリザを実家に監禁した罪を問われているのだが、その数日後には“マカラオ”というブルーノの友人が取り巻きとともにエリザを別の場所へ運び、そこで実行犯と見られる元警察官がエリザを殺害、死体を切断して犬の餌にしたという。

 警察によると、携帯電話の履歴から、ブルーノは赤ん坊がいっしょに来ていたことは知らなかったようだ。だが、09年10月にエリザが妊娠を告げた時には、車の中でピストルを突きつけて殺そうとした。テレビカメラの前でブルーノを逮捕した警官エドソン・モレイラは、「彼はフットボール界のアイドルなのかもしれないが、今わたしが言えるのは本物の怪物だということだけですよ」と語っている。

 ブルーノは無実を主張しているが、落ち着いた様子ではない。彼が取り巻きを犯行に使ったとされるのは、ブラジルではありがちなことだ。ブラジルの選手たちの多くは貧しい地区の出身である。ある者は、成功して金持ちになると以前つきあっていた連中とは手を切るが、ある者は昔のつきあいを続けていく。アドリアーノが“ファベイラ”時代の友人といまだにつきあっているのはよく知られている。ブルーノもこのタイプだった。
 ブルーノはベルホリゾンテのリベイロ・ダス・ネベスという街の出身だ。ブルーノはプロになった時に故郷を訪れ、地元の貧しい少年たちのためにさまざまな物をリオから運んできて与えている。また、“コパ・ブルーノ”という大会も開催している。ブルーノの父親はトラックの運転手だった。ブルーノが2歳の時、父親は数千キロも離れた場所へ転勤になってしまったので、家族はブルーノを祖母の家に残したまま引っ越すことになった。予定では、後にブルーノも家族の元へ合流するはずだったのだが、両親が離婚してしまった。両親とともに転居した兄のロドリゴはそこで見捨てられ(ブルーノも同じだが)、ストリート・チルドレンとして育った。兄はすでに逮捕されていて、父親もトラックの中で02年に殺されている(理由は不明)。

 プロになったブルーノは数人の女性とつきあったが、いつも悪いうわさが絶えなかった。かつてアドリアーノが嫉妬(しっと)したガールフレンドを木に縛り付けたことがあったが、その時ブルーノはこう言ってアドリアーノをかばっていた。
「皆さん(ジャーナリストたち)の中に一度も女を殴らなかった人はいますか? けんかになれば“ハードボール”も時には必要なんですよ」

「死体もなければ証拠もない。エドソン・モレイラ(警察官)という豚には何の証拠もないんだ。わたしはヤツの報告書を引き裂いたよ」
 ブルーノの弁護士エルシオ・クアレスマは「最も単純なケース」だと言い、さらに「エリザを見たという電話が国中の至るところから何本もかかってきている」と無実に自信を見せている。一方、警察側はクアレスマに逮捕歴があることを強調し、弁護人自身が明らかに怪しいと主張する。また、マフィア組織の弁護人という素性を問題にしている。

 ブルーノの事件での目撃者は、ブルーノのいとこでJと呼ばれる男だけだ。Jは警察をブルーノの家に手引きした。Jの証言は二転三転しているが、警察側は唯一事件の全容を知る有力な目撃者としている。クアレスマによると、「Jは薬物中毒で誰も彼のことは信用していない」とし、事件のストーリーは警察のでっち上げだと言う。証拠も死体もない、目撃者も非常に頼りない。弁護士は自信満々だが、依頼人はどうもそうではないらしい。
 ブルーノはうつ病と脱水症状で、拘置所から病院へ移送された。自殺未遂といううわさもある。皆が注目するようになった事件だが、結審までにまだ長い時間がかかりそうだ。ただ、ブルーノの25歳という年齢からすれば、無罪となれば復帰も可能だろう。

<了>
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著者プロフィール

1965年10月20日生まれ。1992年よりスポーツジャーナリズムの世界に入り、主に記者としてフランスの雑誌やインターネットサイトに寄稿している。フランスのサイト『www.sporever.fr』と『www.football365.fr』の編集長も務める。98年フランスワールドカップ中には、イスラエルのラジオ番組『ラジオ99』に携わった。イタリア・セリエA専門誌『Il Guerin Sportivo』をはじめ、海外の雑誌にも数多く寄稿。97年より『ストライカー』、『サッカーダイジェスト』、『サッカー批評』、『Number』といった日本の雑誌にも執筆している。ボクシングへの造詣も深い。携帯版スポーツナビでも連載中

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