アデバヨルの代表引退

 エマニュエル・アデバヨルはトーゴ代表からの引退を表明した。1月のアフリカ・ネーションズカップでトーゴ代表を乗せたバスが銃撃されたのが、引退の直接の原因である。若くして代表を引退する選手たちは、実はかなりの数に上るのだが、アデバヨルもそのリストに加えられることになった。

 アデバヨルとトーゴ代表の関係は、それまでも良好とは言えなかった。もともとナイジェリア人の家族に生まれ、“ベイビー・カヌ”と呼ばれていた。アデバヨルはトーゴのスター選手になり、2006年ワールドカップ(W杯)・ドイツ大会に出場したものの、トーゴはカメルーンやエジプトのようにアフリカをリードする強豪国ではない。トーゴ代表選手にはヨーロッパでプレーしている者もいるが、ステータスはアデバヨルとは比較にならない。大半が2部や3部のプレーヤーである。

 06年のネーションズカップでは、監督と意見が合わずに途中でチームを離れたこともあった。07年9月に代表復帰。08年にアンリ・スタンブリ監督が辞任すると、アデバヨルはW杯予選のザンビア戦に欠場すると言い出したが、最終的にはチームに合流した。09年2月には、エジプトのモハメド・アブトレイカを抑えて08年のアフリカ最優秀選手賞を受賞。トーゴ人初の快挙だった。

 10年、アンゴラでのネーションズカップに参戦したトーゴは、カビンダで銃撃を受ける。FIFA(国際サッカー連盟)はすでに脅迫を受けていたので警告を発していたのだが、トーゴには特別な護衛はつけられていなかった。1月8日、トーゴ代表チームを乗せたバスがコンゴ共和国とアンゴラの国境付近でマシンガンによる銃撃を受けた。銃撃は30分間におよび、バスの運転手が死亡。選手2人のほかに同乗していたジャーナリスト、医師、協会役員が重傷を負った。運転手が死亡したため脱出のチャンスを見いだせず、選手たちはシートの間に伏せて銃撃に耐えるしかなかった。アデバヨルは「人生で最悪の出来事」と言い、トーゴ代表はネーションズカップ棄権を申し出た。トーゴのグループリーグ3試合はすべてカビンダで行われることになっていた。また、ほかの参加国にも棄権を呼び掛けた。
 銃撃後、周囲はもちろんトーゴに同情した。棄権を責めるようなことは誰もしなかった。ところが、数週間してからアフリカ連盟はトーゴに制裁を科し、次回とその次のネーションズカップへの出場権をはく奪した。ネーションズカップ予選もなくなり、ボーナス闘争に明け暮れながら長旅に耐え、さらに負傷のリスクもある。トーゴの選手たちが代表でプレーしなくなっても不思議ではない。アデバヨルの引退声明は明確だ。
「1月の悲劇で、仲間がテロリストに殺されてしまった。代表引退は非常に難しい決断だ。しかし、あの事件の後は、数週間から数カ月も後遺症に悩まされた。現在でもあの午後の恐ろしい光景を思い出して気分が悪くなる。代表とトーゴの人々は、いつでも僕の心の中にある。これからの挑戦における成功を望んでいる」

 アデバヨルは26歳で代表から引退することになった。マンチェスター・シティのロベルト・マンチーニ監督はこの件でのコメントを特に出していないが、クラブの監督にとっては喜ばしいに違いない。これでアデバヨルも早期代表引退リストに加えられることになった。メジャークラブでプレーしているマイナー国の選手には、このケースが頻繁に起こる。例えば、マンチェスター・ユナイテッド(マンU)のライアン・ギグスはウェールズ代表では16年間に64試合しかプレーしていない。07年にはマンUに専念するために代表引退を宣言しているが、それ以前にも親善試合ではプレーしていなかった。負傷などの理由をつけて招集に応じなかったのだ。

 アデバヨルと似たケースはヨハン・クライフだろう。オランダ代表として1974年W杯と76年の欧州選手権でプレーし、78年W杯予選でも中心となって予選突破に貢献したが、アルゼンチンには行かなかった。表向きの理由はアルゼンチンの軍事独裁政権に反対していたからということになっていたが、08年にクライフはラジオ番組で真相を話している。W杯の1年前、クライフの家族は誘拐事件に巻き込まれそうになった。「W杯は200%の状態で臨まなくてはならない。ほかに心配事があるようでは無理だと思った」と語っていた。

<了>
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著者プロフィール

1965年10月20日生まれ。1992年よりスポーツジャーナリズムの世界に入り、主に記者としてフランスの雑誌やインターネットサイトに寄稿している。フランスのサイト『www.sporever.fr』と『www.football365.fr』の編集長も務める。98年フランスワールドカップ中には、イスラエルのラジオ番組『ラジオ99』に携わった。イタリア・セリエA専門誌『Il Guerin Sportivo』をはじめ、海外の雑誌にも数多く寄稿。97年より『ストライカー』、『サッカーダイジェスト』、『サッカー批評』、『Number』といった日本の雑誌にも執筆している。ボクシングへの造詣も深い。携帯版スポーツナビでも連載中

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