中村憲剛、絶望の淵から=完全密着ドキュメント 第一章

麻生広郷

アゴがいつもの場所にない

試合序盤に相手DFと衝突。強烈な衝撃が憲剛の顔面を襲った 【(C)川崎フロンターレ】

「頭の中がぐわんと揺れた感じでした。やった瞬間だけじゃなくて、その前後の記憶がないんです。ただ頭が真っ白になって、これはまずいと感じたことだけは覚えています」

 2月23日に行われたAFCチャンピオンズリーグのグループステージ第1節、韓国・城南一和とのアウエーゲーム(0−2で川崎フロンターレが敗戦)。時計の針が15分を過ぎた時のプレーだった。左サイドにいたレナチーニョからの折り返しのボールを、バイタルエリアに走り込んできた中村憲剛が胸でトラップ。そのまま次のプレーに入ろうとした瞬間、斜め横から突進してきた相手DFの頭と憲剛の顔面がもろに衝突。憲剛はピッチに倒れた。ピッチサイドで撮影していたカメラマンはその瞬間、固くて重い物同士がぶつかり合うような鈍い音を聞いたそうだ。

「たぶんヘナ(レナチーニョ)からだと思うんですが、横パスが来たところまでは覚えています。だけど、そのあとの記憶がない。胸トラップしたことも覚えていないですし。次の場面ではもう自分が倒れていました」

 だがしばらくのインターバルの後、憲剛はプレーを続行。試合終了のホイッスルが鳴るまでピッチに立った。憲剛は激しい接触プレーで倒れても、よほどのことがない限り自分からプレーを放棄することはしない。その愚直なほどのひたむきさこそ、単なるテクニシャンという枠に収まり切らない彼の真骨頂でもある。憲剛はこの日も立ち上がり、いつもどおりのプレーを最後まで貫いた。少なくとも記者席からはそのように見えていた。一緒にプレーしている選手でさえも、試合が終わるまで憲剛の異変に気づかなかったほどだ。むしろテレビで試合を見ていた視聴者の方が、口の中を真っ赤に染めながら走り続ける彼の様子を見て、これは尋常ではないと感じたかもしれない。
 確かに今回ばかりは非常に深刻な事態だった。

「アゴの右の方を触ると、くにゃくにゃした感じだったんです。口の中の出血が止まらず、歯茎が下にずれていて歯だけが浮いてるような感じ。歯が折れてるのかなと思ってハーフタイムに鏡を見たら、ちゃんと並んでいました。あのときは試合に負けていたし、まさかアゴの骨が折れているとは思ってもいなかったから、自分としては当然、後半も出る気持ちでした。だけど、あの試合でもう一度顔面に相手がきてたら……、って思うと正直ゾッとします」

 ハーフタイム、憲剛は監督やチームドクターに様子を聞かれ、「いや、やるしかないでしょ」と気丈に答えたが、心の中では「これはやばいかもしれない」とも感じていた。

「途中から口が開かなくなってきて、後半はしゃべれなくなっていました。感覚がおかしくなっていたんです。『あれ、アゴがいつもの場所にない』って感じながらプレーしていました。これがもし足だったら、けがの具合がどの程度か自分でも分別がついたと思います。だけどアゴっていう初めての個所だったから」

 試合後、憲剛はタクシーで現地の病院に直行。レントゲン撮影とCT検査を行った。医師の診断は下顎骨骨折(かがくこつこっせつ)という重いものだった。

「ドクターがやりとりしている様子や表情を見て、これはひどいけがなんだなと直感しました。実際に自分でCTを見たら、アゴの骨の横と下に黒い線が2本入ってたんです。あぁ、これは手術だなと。復帰までどれぐらい時間がかかるんだろうって思いましたね」

おれ、どうなっちゃうんだろう?

口から出血しながらも最後までプレーした憲剛 【(C)川崎フロンターレ】

 一方、試合後に宿舎に戻ってきたチームスタッフの間には、重苦しい空気が流れていた。憲剛に付き添っていたスタッフから「残念ながら最悪の事態です」という説明を電話で聞かされていたからだった。大黒柱の長期離脱はチームにとって大きな痛手だし、何よりも本人の状況をみんな心配していた。コーチ陣やチームスタッフは試合後の軽食が終わっても誰もテーブルを立とうとせず、憲剛の帰りを待っていた。

 そして試合終了から2時間半が過ぎたころ、頭を包帯でぐるぐる巻きにされた憲剛が宿舎に戻ってきた。その姿はあまりにも痛々しかったが、本人は思いのほかショックを受けたそぶりを見せず、むしろ淡々とした様子だった。だが、それは周りの空気を察した彼なりの気遣いだった。後日、病室であのときの話を聞くと、「おれがブルーだったら周りにも影響するでしょ。けがした奴がへこんでいたら、周りの人は声をかけられないから」という答えが返ってきた。憲剛は1人で苦しんでいたのだ。

「試合の興奮が冷めてきたらどんどん痛くなってきて、『おれ、どうなっちゃうんだろう?』ってホテルの部屋で1人で悶々(もんもん)としていました。右アゴを下にした状態で横になることができなかったので、あの夜は寝る体勢が決まらず、ほぼ一睡もできませんでしたし。あの日の夜は本当に長かったです」

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著者プロフィール

フリーライター。川崎フロンターレ オフィシャルマッチデープログラム記者

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