我那覇和樹、ピッチ外の勝利と終わらない戦い〜ドーピング禁止規定違反をめぐる問題〜

江藤高志

事件の概略と経過

 先日、川崎フロンターレの我那覇和樹が、彼自身にかけられていたドーピング違反という汚名をそそぐ裁定を勝ち取った。1人のアスリートの潔白が証明された形だが、概略と現在の争点について解説してみようと思う。

 我那覇和樹が巻き込まれた一連の騒動の発端は、2007年4月23日に行われた静脈注射だった。この日我那覇は体調不良を訴えており、チームドクターの判断によって練習後に生理食塩水とビタミンB1の静脈注射(点滴)を受ける。この事実が翌日のスポーツ紙で報じられ、問題が表面化することになる。ただし問題といっても、生理食塩水もビタミンB1も禁止薬物などではなく、唯一静脈注射が問題とされていた。

 Jリーグ側は、この治療は「我那覇選手の健康状態の緊急かつ正当な医療行為として承認することはできない」と判断。ドーピング違反と認定し、公式戦6試合の出場停止の処分を下し、また川崎フロンターレには管理責任があるとして1000万円の罰金を科した。
 これらの処分に対し、2007年11月5日に我那覇に医療行為を施したチームドクターが日本スポーツ仲裁機構(JSAA)での仲裁を希望。しかし11月12日にJ側が「解決済み」として不同意。仲裁は成立しなかった。

 こうした流れを受け、12月6日に我那覇本人によって、再度仲裁の申し立てがなされ、12月13日に我那覇とJリーグの双方が、スポーツ仲裁裁判所(CAS)での仲裁に合意し、審理がスタートした。
 なお争点は、(1)我那覇の受けた点滴が正当な医療行為かどうか、(2)Jリーグの手続きが世界アンチ・ドーピング機関(WADA)規定に違反していないか、の2点だった。

 実際の審理は2008年の4月30日と5月1日の2日間、都内で行われ、その結果、5月27日に我那覇側の申し立てが認められるとの裁定が出たのである。

 CASの審理は1審制であり、またJ側は対抗手段として別の機関に提訴することもできないため、これが最終的な結論となる。つまり我那覇側の勝利ということになる。

新たな争点

 おおざっぱな状況説明はこれくらいにして、FIFA(国際サッカー連盟)のドーピング違反選手リストから我那覇の名前が削除された現時点で、新たに生まれている争点を上げておこうと思う。

 まず、今回の裁定を受けたJリーグ側の言い分と我那覇側の言い分の齟齬(そご)についてである。本来、結論が出た審理に対して解釈がそれぞれに違うことはあり得ないとは思うのだが、今回の審理に対する正式な文章は英文で提出されており、こうした不幸な状態が現実のものとなっている。

 では、両者がどう裁定結果を解釈しているのだろうか。現在Jリーグ公式サイト内に掲載されている「スポーツ仲裁裁判所(CAS)裁定結果について(http://www.j-league.or.jp/release/000/00002409.html)」とのページの中に、スポーツ仲裁裁判所(CAS)が発表した英文の文章が掲載されている。一つは「スポーツ仲裁裁判所(CAS)リリース(http://www.j-league.or.jp/pdf/20080528-01.pdf)」であり、もう一つが「スポーツ仲裁裁判所(CAS)裁定書(http://www.j-league.or.jp/pdf/20080528-02.pdf)」である。この文章の解釈において、両者に齟齬が生まれている状態となっているのである。

 今回の裁定に関し、我那覇側が求めていた争点の一つとして、ドーピング違反とされた点滴が正当な医療行為だったのかどうか、というものがあった。その件に関してCASの裁定書、並びにリリースは、次のような表現を使い、述べている。裁定書の47項、リリースの4段落目である。

(裁定書の47項)
47. Whilst the Panel might be minded to accept that in all the particular circumstances of this case,the intravenous infusion was a legitimate medical treatment for Mr.Ganaha within the meaning of the 2007 WADA Code the Panel notes that at the time the J League had not adopted those provisions of the WADA Code which related to sanctions.

(リリースの4段落目)
Whilst the CAS Panel might be minded to accept that in all the particular circumstances of this case the intravenous infusion of normal saline and vitamin B1 performed by the team doctor of Kawasaki Frontale was a legitimate medical treatment for Mr.Ganaha within the meaning of the 2007 WADA Code,the Panel notes that,at the time of the facts,the J League had not adopted those provisions of the WADA Code which related to sanctions.

 TOEICスコア555点の筆者としては、英文を講釈できる立場ではないので、J側、我那覇側が用意した訳文をここでそれぞれに当ててみる。

 まずはJ側。
(裁定書の47項)
47. 当法廷としては、本件の独特の全ての事情の下で本件静脈内注入が「2007年WADA規程」の意味において我那覇選手にとって正当な医療行為であったことを認容することについてはそういう意向になることもあるかもしれないところ、当法廷としては、その時点においてJリーグは制裁に関係する「WADA規程」の関係条項を採択していなかったことを注記しておく。

(リリースの4段落目)
CAS仲裁法廷は、本件の独特の全ての事情の下で、川崎フロンターレのチームドクターによってなされた生理食塩水及びビタミンB1の静脈内注入が「2007年WADA規程」の意味において我那覇選手にとって正当な医療行為であったことを認容することについてはそういう意向になることもあるかもしれないところ、仲裁法廷としては、その時点においてJリーグは制裁に関係する「WADA規程」の関係条項を採択していなかったこと(*)を注記した。

 このJ側の2つの文章の中で注視すべき、かつ、新たな論点を生み出しているのは「正当な医療行為であったことを認容することについてはそういう意向になることもあるかもしれないところ」という訳文の部分である。どうにもこなれていない日本語になってしまっていることが分かるが、かなり遠回し、かつ消極的に正当な医療行為だとして認めようとする書き方になっている。

 一方、我那覇側弁護団が用意した裁定書、47項に対する訳文は以下の通りである。

 本パネル(以降、何度もこのパネルという言葉は出てくるが法廷というようなニュアンス)は、世界アンチ・ドーピング機構(WADA)2007年度規程に照らすとすると、本件静脈内注入は、以上すべての本件の具体的な状況の下で、正当な医療行為に該当することを認める心証を持つことができる。

 J側と同じ個所を抜き出すと次のようになる。

「正当な医療行為に該当することを認める心証を持つことができる」

 断言こそしていないが、かなり直接的に正当な医療行為である事を認める文章となっていることが分かる。ちなみにこの両者の訳文の冒頭には「2007年のWADAコード(規程)に照らして判断したときに」という前提条件が付帯される。ここでWADAコードについて言及したことについては意味があるのだが、それについてはあらためて後述させてもらう。

「might be minded」の解釈の違い

 Jリーグ側と我那覇側とで訳文に違いが生まれているのだが、その根本となっているのが「might be minded」という部分の解釈の違いである。

 ここでこの部分について我那覇側の弁護団が、会見で解説した下りがあるので紹介しておこうと思う。
 上柳敏郎弁護士は「mindの訳については間違っていると思います」として、その根拠について以下のように続けている。少々長くなるが、引用したいと思う。

「mindという言葉の用法の中で、mind 〜ingという言い方と、mind to 〜という言い方と、二つある。mind 〜ingという言い方、would you mind opening the window? というのは、『空けることにためらいはないですか?』という訳。これはJに近いですね。だけどその時はmind 〜ingとは使ってはいけない。誤用であると書いてある。むしろ、be minded toというのは、そのようにしたいと思う、あるいはそう考えると肯定的なとらえ方をする時に使うことになっている。
 今回こういう話があったので、知人の何人かのアメリカ人の弁護士に聞いてみたが、オーストラリアの方を配偶者に持っておられる方がいて、確かにオーストラリアではこの表現をよく使うと話していました(今回の裁定はオーストラリア人のMalcolm Holmes公認弁護士を含む3名の弁護士が審理した)。
 それからmightという言葉がありますが、これも私はmightが過去形なのかなと思ったんですが、その人に言わせてみたらこれは丁寧に書いてあるだけで、will you mindと言うときにwould you mindと言うのと同じように、これはmayという言葉の丁寧形であると。つまり総合的に言うとmightが『何々することができる』と。be minded toは『心証を得る』と訳せる。これは確信があります」

 要するにJ側は「mind」を「ためらう・用心する」という用法としてとらえており、一方弁護団は肯定的な意味としてとらえているのである。

 逆の言い方をすれば、「might be minded」とは、そうした正反対のとらえ方ができる言葉であるということが言える。なぜCASがこの言葉を使ったのかは分からないが、そもそもCASが公表したプレスリリースには第一版が存在していた。現在はすでに新しいものに上書きされ、存在していないのだが、筆者が入手したその第一版の中には「might be minded」の部分の表現として「has found」と書かれてあった。つまり「正当な医療行為として認定される」とされていたのである。つまりCASの表現としては後退した形にはなっており、それによっても両者の解釈の違いが生まれる結果となってしまったのである。

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著者プロフィール

1972年、大分県中津市生まれ。工学院大学大学院中退。99年コパ・アメリカ観戦を機にサッカーライターに転身。J2大分を足がかりに2001年から川崎の取材を開始。04年より番記者に。それまでの取材経験を元に15年よりウエブマガジン「川崎フットボールアディクト」を開設し、編集長として取材活動を続けている。

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