コラム~水上の若きサムライたち~
世界に誇るボートレースの偉人 加藤峻二(前編)
加藤 峻二(かとう しゅんじ)選手
2012年4月1日更新 文:黒須田守(BOATBoy) 写真:中尾茂幸(BOATBoy)
古希にして現役!
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| 年輪が刻まれた風貌 |
そうしたなかで、ボートレースは選手寿命が比較的長い競技と言うことができる。もともとトップレーサーのほとんどが30代後半から40歳超というのが普通で、モーターボートを操り、2つのターンマークをそれぞれ180度旋回して勝敗を競うという独特な競技形態をもつボートレースでは、キャリアを積み重ねていくなかでの技術力というものが重要だった。また、モーターやプロペラをレーサー自身が整備してパワーアップをはかるという「自主整備制」をとるボートレースでは、そうした整備力にも経験と研鑽が必要とされた。そんななかで、実力のピークは他のスポーツよりも遅い年代となっており、50歳を超えても第一線で活躍する選手はザラだった。
90年代半ばにモンキーターンという新しい旋回の技術が浸透し、ボート界の中心がもっと若い世代へとシフトしていったなかで、40歳を超えてSGやGIで主力となる選手がガクッと減ったが、それでも選手寿命の長さはやはり他のスポーツ以上ということができる。最近ではトレーニング技術や理論の向上で、スポーツ界全体で選手寿命は延びているわけだが、しかし48歳以上の選手のみが出場できるGI=名人戦が年間の目玉レースのひとつになっているボートレースは、特殊性をもっている競技である。
しかし、そうは言ってもさすがに50代半ばを超えれば衰えは顕著なることが多いし、60歳を超えれば大半の選手が水面を去っていく。還暦選手というのは珍しくはないが、もはやそれだけでも偉人。60代の選手が20代前半の選手とバリバリに戦う姿は実に感動的なのだが、選手寿命の長いボートレースであっても、それはやはりとてつもないことではある。
そんななかで、ボートレース界には、大げさに言えば世界にも誇ることができる偉大すぎるレーサーがいる。
加藤峻二。年齢は、70歳。そう、古希と呼ばれる70歳である。今年1月12日、加藤はボートレース平和島で70回目の誕生日を迎えた。もちろん、現役のレーサーとしてレースに出走。しかも2着となっている。ここにその足跡を記そうとすることすら恐れ多いという、“走る人間国宝”。もちろんまだまだ現役として走り続けるのだから、どんな称賛の言葉を尽くしても足りない。
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| その走りは「隼(はやぶさ)」と呼ばれる |
その当時は、まださまざまな記録が整理されていない時代で、初優勝やSG初出場などの記録は、プロフィールには記されていない。残されている記録といえば、SG初優出が1969年2月の全日本選手権だったということ。筆者は1968年生だから、まだ物心がつかない頃に加藤はすでにボート界最高峰のSGレースで優勝戦に進出を果たしており、そして筆者が中年になって髪の毛が乏しくなった今でも加藤は現役レーサーなのだ。
しっかりと記録されている通算成績をざっと列記したい(3月21日現在)。出走回数は14022回。1着は3252回。これは同期の北原友次に次ぐ歴代2位の数字だ。優勝は119回。生涯獲得賞金は15億9907万6463円。歴代トップは松井繁の30億超だが、むろん賞金額が今よりもずっと低い時代にも走っていたわけだから、価値でいえばまったく劣ってはいないだろう。近年はさすがにB級に甘んじる成績しか残せていないが、それでも通算勝率は6.64。これはもちろんバリバリのA1級の数字である。
特筆されるのは、スタート事故(フライング)の少なさだ。表彰の対象となる2000走連続スタート無事故を2度も達成しており、3000走連続無事故も1度達成している。現時点で最後のフライングは1999年6月。約13年、21世紀に入ってから一度も、フライングをしていないのだ。
もちろん最年長記録は非常に多い。そもそも現役50年超というのは過去に加藤以外にはおらず、最年長出走や最年長1着などは加藤が現役でいる限り更新されていく。07年のGI名人戦で優出しており、これが現時点では最年長優出となっている。
そうしたなか、ボート界に顕著な功績を残した選手を讃える「競艇殿堂」には、現役選手として唯一、選出されている。本来は引退した選手に与えられる栄誉なのだろうが、その選出には誰もが納得したものだった。
(後編に続く・・・)4/15(日)更新予定
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- 加藤 峻二(かとう しゅんじ)選手プロフィール
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登録番号1485。5期。埼玉県出身。1942年1月12日生まれ。A型。 おもな優勝:70年総理大臣杯(住之江)、77年笹川賞(住之江)、77年モーターボート記念(浜名湖)。
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